大事な富

カナダとアメリカのエネルギーの宝庫である、この深い地層の上に何世紀にもわたって人間の怠惰と優柔不断さが積ってできた山を動かしたのは、この企業家精神・・・


つまり創造性と信念の神秘的な働きでした。


人間の生活における物質の不足という難問を乗越えることができたのはこの企業家精神のおかげでした。


カナディアン・ハンター・コーポレーションは1981年から1982年にかけて難問にぶつかりました。


会社はエネルギー危機の基本的な解決を資源の探査に見いだしたばかりでなく、また危機の永遠の原因も発見したのです。


しかし、エネルギー欠乏の予測をまだ信じているカナダ政府は、天然ガスの輸出を徹底的に制限して、まるで放っておけば流出してしまうかのようにカナダの保有するエネルギー資源を抱えこむことに決めたのでした。


・・・いまだにオタワのエネルギー専門家たちは、きたるべき数十年後の破局のシナリオに備えていました。


しかし実は、危機が起こった際、これを乗りこえるのに不可欠な企業の資金を枯渇させるようなことをしていたのでした。


そこで、ハンターの井戸が確実にガスを汲出してトランス・カナダ・ラインに流している一方で、マスターズとグレイは南方・・・


つまりアメリカ合衆国内で、子会社のアメリカン・ハンターによる新しい井戸の掘削に取りかかりました。


カナダのエネルギー省の大勢の専門家集団も散り散りになろうとしていました。


しかし、エルムワース盆地から南へと向かう、このような人的資源・・・ハンター社そのもの・・・の流れも、恐らく天然ガスそのものの流出よりも重大な損失となるでしょう。


物質の形で富を蓄え、あるいは貨幣の形でたっぷりと再配分しようと努める政府は、その富の大事なエッセンスがその時失われてしまったことを後になって気づくでしょう。

偉大な人

もしジョン・マスターズとその仲間のような人物が探査を行うことができれば、同じように広大でしかももっと採掘の容易な油床が世界中のどこにでも発見される見込みがあります。


そもそもエネルギー不足の問題は経済発展全体の抱える問題の要約にほかなりません。


成長の限界は神あるいは自然の状況に由来するものではなく、人間の信念の不足と法律の制約に由来するものです。


人間の心にたえず迫ってくる暗黒のフロンティアの彼方を見通し、そこにあるはかり知れない光り輝く財宝に危険を冒し、畏怖の念を抱きながら手を伸ばす・・・


そのような創造的な人間には限りない可能性があります。


しかし、破滅論に打ちひしがれた専門家たちの推測がそのような可能性を否定しているのです。


エルムワースの数兆立方フィートにおよぶ天然ガスについての評価はいまだ定まっていませんが、ジョン.マスターズのすばらしさはそのような指標によって測られるものではありません。


事業が成功する場合、そのほとんどの底流にある極めて重要な心構えをけっして忘れないこと。


・・・それが彼の偉大さです。


すなわち、科学・技術の知識を尊重しそれを駆使しながらも、より深遠な真理についての包括的な知識が大事であることを心得ていたのです。

天然ガス油田の発見

「我々は画期的な石油およびガス発見の時代に生きている。


しかし我々の業界も行政機関もそれに気づかないように見える。


彼らは数年前に今とはまったく異なる経済および心理的風潮のなかで行われた、カナダの炭化水素ガスの供給予測に満足しきっているようだ」。


「1967年にプラドウ湾でアメリカ史上最大の油田が発見され、1976年にはアメリカ、カナダ両国にとって史上最大のガス油床が深層盆地で発見された。


しかし、それらの発見をほんの少しでも匂わせるような指摘が行われただろうか。


5年前、メキシコが新しい中東となることに25セントでも賭けた地質学者が一人でもいただろうか?」


・・・1984年には、エルムワースに17兆立方フィートの埋蔵量が確認され、アメリカ大陸で4番目に大きな油床であることがわかりました。


さらに今後長期にわたって採掘可能な膨大な貯蔵量も見込まれています。


約400兆立方フィート、カナダですでに発見されている油床の6倍の資源が埋蔵されているとの見込みです。


これまでの石油産業の歴史では、掘削された井戸の約80パーセントはアメリカの4つの州に限られていました。


さらに巨大な新しい油田、ことに天然ガス油田は、引きつづきアメリカ合衆国内のロッキー山脈の逆断層地帯からルイジアナのタスカルーサ地層帯にかけて発見されています。

カナダの石油会社

カモメの啓示の後、ハンターはブリティッシュ・コロンビアの303万4千工ーカーの権利を4700万ドルで買取りました。


他の企業も何かすごいことが起りかけているらしいと気づき出して、ハンターの株を買い始めました。


ついに、1979年7月3日、エクソンのカナダにおける子会社インペリアル・オイルの探査担当副社長カル・エヴァンズが、カナディアン・ハンター社長ジョン・マスターズをオフィスに訪ね、取引を申し出ました。


ジャック・アームストロング社長もすでに考えを改めていたのです。


インペリアルはエルムワース油床における一連の複合権益と引換えに、6000万ドル相当の掘削を引受けると申し出ました。


ジム・グレイと話し合った後、ハンターはもっと単純なプランを申し出ました。


1億5000万ドルに対して会社の株の15パーセントという内容でしたが、結局それで話が決まりました。


8月12日付のカナダのファイナンシャル・ポストはこう報じています。


「カナダ最大の石油会社インペリアル・オイル株式会社は、ノランダ鉱業株式会社が75パーセント出資している子会社カナディアン・ハンター探査株式会社所有の広大な土地の権利買取りのためにノランダと交渉し、話は大詰の段階に入った・・・石塚孝一氏によると、ノランダにとってカナディアン・ハンターは近年最もうまみのある投資先であり、この取引はノランダのハンターへの資金供給を確実にするものである」。

英語は文明開化の手段だった

おはようございます。ちょっとソファー ベッドで横になっていたら少し寝てしまったようです。


さて、イギリスに留学中の馬場辰猪は『日本語文法』を英文で書いています。


しかし森有礼の意見も、当時としては当然のことを述べたもので、今日でも考えさせられるところがあります。


明治20年ごろまで、すなわち明治時代の前半は、高等教育はすべて英米人によって行なわれました。


学校の教科書はすべて舶来本か、翻刻版であり、授業は英語で行なわれたところが多かったのです。


慶応義塾は蘭学塾の伝統をついで、明治になっていち早く英学を看板として全国を風靡し、英語教師の配給を一手に引き受けていました。


やがて、同志社や札幌農学校のようにキリスト教主義の雰囲気の中に、新時代の日本を背負う青年が育てられ、東京大学や工部大学校では次代の科学者が生まれつつありました。


英語万能の時代でしたから、英語の達人が多く出たのもふしぎではないですね。


新渡戸稲造、内村鑑三、岡倉覚三などのようにすぐれた英文を書く人は後の時代には見られません。


ここで注意すべきは、彼らは欧化時代の中に育ちながら、その思想は日本中心主義であったことです。


彼らの英語勉強は、日本を欧米と同じレヴェルに上げるための手段でした。


欧化思想も裏を返せば日本第一主義です。


それは条約改正のための運動にすぎません。


つまり英語は文明開化の手段にすぎなかったのです。

むかしばなし 4

三郎はその箱を開いて天を拝みました。


すると、三郎のからだがたちまち小さく小さくなって、一寸の虫になってしまいました。


そこに鬼人が追いついてきましたが、草の葉かげにひそんでいる三郎を見つけることはできませんでした。


そして、


「逃げ足の早いやつじゃ。残念やった。」


といって、すごすごと山へひき返してしまいました。


三郎はもとの人間の姿にもどり、十三里の山道を歩いて、前によった一軒茶屋に行きました。


茶屋の主人はびっくりして、


「あんたは三ヵ月ももどってこんから、いよいよ食い殺されたとうわさしておるところでした。


まあもどってきてよかった、よかった。」


といってくれました。


三郎はそれからまた長い旅をつづけて、何年ぶりかに家に帰りつきました。


すると久しぶりにあった兄弟三人と母はたいへん喜んでくれて、いろいろと話はつきません。


三郎はアチャヤ姫のこと、鬼人の父のことをすべて話したら、みんな泣いてアチャヤ姫に同情しました。


ところで、兄の一郎は嫁をもらっていました。


何年も子どもはいませんでしたが、三郎がもどってくる前、はじめて女の子が生まれたのでした。


その子は日がたつほどにきれいな子になりました。


「この子はアチャヤ姫のようにきれいな子じゃ。」


三郎はこういってほめるのでした。


ところが、その女の子は、生まれたときから右の手をしっかりにぎりしめたままでした。


だれが離そうとしても決して離せないのでした。


あるとき、三郎がなにげなく、


「それなら、おじさんがあけてくるっからね」


といって、右手をとったら、ぱっと手を開いたのでした。


「あっ。」


みんな驚きました。ところが、不思議なことに、その小さな手のひらには、カンザシのかけたのがあったのです。


「あっ。」


三郎は思わず目を見はりました。


そして、そのカンザシと合わせてみたら、ぴったり一本になります。


これはまちがいなく、アチャヤ姫の持っていたカンザシです。


それから幾年も幾年もたちました。


その子は年をとるごとに、アチャヤ姫とそっくりの美しい娘になっていきました。


そしてとうとう三郎といっしょになって、一生をむつまじく、くらしたということです。

おしまい。

むかしばなし 3

「ここにワラジがあるが、これは何か。」


「そのワラジは父上が捨ててあったのをわたしが拾っておいたものです。」


「そうやったか。」


それからもう父は何も聞きませんでした。


翌日は早くから父はえもの探しに山へ出かけました。


つぎの日も、そのつぎの日も、同じように山へ出かけました。


三郎は姫にかくされてすごすうち、たちまち三ヵ月にもなり、いつしか姫と三郎はいい仲になり、姫は子を宿しました。


ある日、三郎は姫をさそって、いっしょに山を逃げる決心をしました。


二人は、姫のカンザシを二つに折って、先のほうを姫が、あとのほうを三郎が持って、夫婦のちぎりをむすびました。


十五夜の晩、父が眠っているのを見すまして、二人は手に手をとって逃げました。


ところが運の悪いことに、姫が枯枝をふみしいで、ポッキンと枝の折れる音がしました。


そこで、鬼人の父が目をさまして、二人に気づきました。


「こらあ、逃ぐるなあ」


と叫んだかと思うと、がばっととびだして、二人の後を追いました。


そしてたちまち姫に追いついて、とうとう鬼人の父はアチャヤ姫を食い殺してしまいました。


三郎は一生懸命逃げました。


アチャヤ姫を食い殺した鬼人の父は、今度は三郎を恐ろしい勢いで追ってきました。


このとき、三郎は国をたつとき、母からもらった小さな箱をふところから取りだしました。母が、


「三郎、いよいよ最後というとき、この箱をあけて天を拝みなさい」


といって、くれたものです。

むかしばなし 2

「いや、わたしはあの岳のアチャヤ姫に会わんといかん。行ってくるから。」


そして、三郎は茶屋を後にしました。


目的は鬼人ガ岳。


しかし、鬼人ガ岳は目の前に見えているようでもなかなか遠く、とうとう十三里も歩いてやっと岳の中腹にたどりつきました。


森の中に家があったので、三郎がのぞいて見ると、たいへんきれいな女が火をたいていました。


「ごめん下さい。」


すると、女がびっくりして見ました。


「わたしは鬼人ガ岳のアチャヤ姫という人を見にきたものですが、アチャヤ姫を知りませんか。」


「アチャヤ姫はわたしです。」


三郎がびっくりしてアチャヤ姫をまじまじと見ると、姫がきびしい口調でいいました。


「あなたはこんなところに来てはいのちが危い。私の父は人を食う鬼人です。早く帰って下さい。」


「いや、わたしはもどらん。あっちの山、こっちの山と何年もかかってあんたをたずねてきた。


せっかくこうして会えたのにすぐ帰るわけにはいかんよ。」


三郎はがんとして聞きいれず、いっこうに帰ろうとしないので、姫はしかたなく、その長い衣裳のすその下に三郎をかくしてくれました。


まもなく、山がごーっと鳴りひびいたかと思うと、恐ろしい形相の鬼人の父がもどってきました。


「きょうは鹿も猿も一つもかみださん日じゃ。」


父はこういって土間にはいってきましたが、三郎のワラジを見つけて、


「アチャヤ、だれか人がきたな」


といいました。


「いいえ、だれも来ません。」


むかしばなし

最近屋久島ツアーなどで人気のある屋久島。


一度は行ってみたいですよね。


今日はそんな屋久島に伝わる民話、「アチャヤ姫」を紹介します。

むかし、むかし。


あるところに、一郎、二郎、三郎という三人兄弟がいました。


ある夏の夕暮れ、三人はうちわを持って夕涼みしていました。


そのとき、一番下の三郎がふと、


「このうちわの絵人形はほんにきれいかなあ。こんなきれいな女子がこの世の中にあるじゃうか」


というのでした。すると一郎が、


「それはあるだろう」


といいました。


「ほんのこておるかね。こげな人はどこにおるもんだろうか。」


「それはね、鬼人ガ岳というどころにあるアチャヤ姫という女子じゃ。わざいきれいか女子じゃそうや。」


「その女子を一目見たかもんやね。」


「わいが行たても、とてもその女子を見やならんやろ。だいたい鬼人ガ岳がどこか、わからんとやからね。」


「うんにゃ、どうしても一目見てこんと気がすまん。」


それから、ニ郎は母にどうしてもひまをくれといって、ようやくなっとくしてもらって、その翌日、毎日、毎日、あの山こえ、この野をこえてアチャヤ姫を探しまわりました。


あっちの国に行っては、


「鬼人ガ岳を知りませんか。」


こっちの国へ来ては、


「アチャヤ姫を知りませんか」


とたずね歩きました。しかしだれも知りませんでした。


そうするうちに、たちまち月日がたってしまいました。


ある年のある日、山のふもとの一軒茶屋に休んだ三郎は、そこでも、


「鬼人ガ岳を知りませんか」


と聞いてみました。すると茶屋の主人が、


「鬼人ガ岳なら、あちらに見えている岳じゃが。


しかし、あの岳には今まで百人も人が行ったが、だれも帰ってきません。あなたは何しに行くのですか」


といいました。

大統領選挙と「日本問題」 8

トム・ハーキン上院議員(民主党、アイオワ州選出)


・・・ハーキンは1939年生まれで、父は炭鉱労働者、母はユーゴスラビア移民です。


ハーキンは、アイオワ州選出下院議員を経て、85年から上院議員を務めていました。


民主党上院院内副幹事で、身体障害者救済に力を入れてきた人です。


ハーキンは庶民的なイメージを売り物にしており、対日問題では次のように主張しました。


「日本とドイツが競争力を強化できたのは、米国が防衛費を肩代わりしたおかげではないか。


そのような手助けはもうやめるべきだ」と。


また、メーン州で開かれたAF」-C10(米労働総同盟・産別会議)の集会においても、


「労働者の生活を守るために、大統領が立ち上がるのは当然ではないか。私は保護主義者とののしられることを誇りに思う」と演説しました。


ジェリー・ブラウン(民主党、元カリフォルニア州知事)


・・・ブラウンは1938年生まれ。


75年から83年までカリフォルニア州知事を務め、76年と80年に大統領選挙に立候補したものの、カーターに指名段階で敗れました。


ブラウンはこれまで金権政治を支えるエリートや大企業を攻撃するのに専念し、対日問題にはあまり言
及してきませんでした。


しかしながら、ブラウンも対日政策には独自の政策を掲げてはいます。


彼によれば、「大統領は対日貿易交渉で譲歩を勝ち取るより、国民的目標を設定すべきだとし、例えば、燃費効率が世界最高の車を作るということだ、そうすれば、日本も米国の製品を買うようになるだろう」と述べていました。

カテゴリー

管理人のお気に入り

医院 開業

医師の求人・転職がご希望なら、業界トップクラスのリクルートドクターズキャリアへ。医師専門で転職支援歴30年。常時10,000件以上の医師募集求人をご用意、専任のキャリアアドバイザーがあなたに合った厳選求人をご紹介し、転職を徹底サポートします。

  • キャンピングカー
  • キャンピングカーのことなら新車・中古車販売、全国買取、レンタカーまで、日本最大級の在庫台数、自社サービスネットワークでお客様のキャンピングカーライフをサポートします。キャンピングカーのことならお任せください。

エクステリア 名古屋

2010年度TOEX施工コンクール【全国大賞】受賞!! **ワイズギャラリー**は愛知県 名古屋・長久手・日進・尾張旭・瀬戸での外構・エクステリア・ガーデンのデザイン・設計・施工会社です。

バイク

中古バイクと新車バイクを全国のバイクショップから探すことができる「BIKET」は、新車&中古バイクの在庫検索サイトです。メーカーや価格、ショップ地域、ボディタイプ、排気量などから新車バイク&中古バイクが探せます。

防犯カメラ
iphoneでカメラ映像を見れる,激安防犯カメラ販売、監視カメラ販売。塚本無線はISO 9001・14001認証工場。防犯カメラを弊社は自己開発・製造販売をしています。遠隔監視システム、防犯カメラ監視システム、防犯録画システム。
  • バーチャルオフィス
  • バーチャルオフィス・イエローページは、バーチャルオフィス専門検索サイトです。月額数千円から東京都心にオフィスを構え、法人登記が可能に。東京都心の住所、電話番号で会社の信用もアップ!バーチャルオフィスならバーチャルオフィス・イエローページへ。
湘南 不動産

湘南エリア(藤沢・辻堂・茅ヶ崎・鎌倉)の不動産売買・賃貸情報!湘南の売買・賃貸物件はお任せ下さい。

ソーラーパネル

ソーラーパネル、シールドバッテリー、チャージコントローラーなどを高品質、低価格で販売しております。個人・法人問わず店舗経営されている方、卸販売も対応しておりますのでぜひお問合せ下さい!